御嶽山(御嶽)〜先の見えないホワイトアウトで成長した霊峰の旅〜
2013年10月27日
長野県と岐阜県に跨がる御嶽山(おんたけさん)に行ってきました。木曽御嶽山または御岳とも呼びます。(以下、御嶽山とする。)
御嶽山は、大きく裾野を広げる標高3,067mの独立峰ですが、剣ヶ峰を主峰とした5つの外輪山で形成された巨大山塊です。
そして、御嶽山は成層火山であり、国内では富士山に次いで2番目に標高の高い火山でもあります。
また、富士山や白山、そして立山に並ぶ山岳信仰の代表的な山でもあるため、古くから修験者が足繁く登っていた山でもあります。
自身がこれまで登った山の中で一番高い山に当たる御嶽山。
そこから見える景色に何を思うか。
僕たちはその答えを求めるために霊峰へ向かって旅に出ました。
御嶽山の記録
信仰の山
僕らは前日、都内を出発し、高速道路を走り長野県へ向かった。
道中、走行車線に脚立が落ちていました。気付かずに直撃していたらこの記録はなかったことでしょう。
翌日の登山は早朝から開始するため、標高2,180mの田の原駐車場で車中泊。
しかし、季節はすでに10月下旬の長野県。寒いのは想定していましたが、2時間ごとに寝て起きてを繰り返すほど寒く、一晩で身体が凍えそうになりました。
午前06時42分
あまり良質な睡眠をとることができないまま空は明るくなり、朝が訪れました。
車中の結露した窓を手で擦り窓の外を覗くと、そこには薄っすらと雪が降った後があり、その先には御嶽山の堂々とした姿が見えました。
田の原大黒天で今旅の安全を祈願します。 横には御縁を象徴する5円玉のオブジェクトが飾ってありました。
日本三大霊山という枠組みにも選ばれている山岳信仰のある霊山であるため、登山道中の至るところに神社や社が点在しています。
日本三霊山(にほんさんれいざん)とは、古より山岳信仰の盛んな日本において、霊山の三大として富士山・白山・立山を束ねた名数である。略して三霊山とも呼ばれる。
また、これとは別に日本三大霊山(にほんさんだいれいざん)という名数も存在し、こちらでは、富士山・白山に加えて立山と御嶽山(長野県の御嶽山)のいずれかを挙げて三大としている。
田の原から御嶽山までの序章は平坦な砂利道から始まります。
御嶽山は現代においてもなお、信仰登山が盛んであり、白装束の教信者が登山している姿が御嶽山の魅力の一つかもしれません。
この旅の中で見ることができるか、楽しみの一つです。
太陽が昇って陽が出てきたけれども、標高2,500m越えの御嶽山の登山道では地面に雪の足跡がたくさん見受けられます。
都心部ではこれから紅葉狩りの季節であることを考えると、御嶽山の冬の訪れは数ヶ月早い。
湧き出た雲に太陽が重なり、神聖な山ならではの神々しい朝。
その向こうには雲海も広がっており、幸先の良いスタートとなりました。
約1時間経ったあたりで、八合目にある石室に到着。
避難小屋があり、何かあった場合はここに駆け込めるようになっています。逆を言えば何か起こりうる可能性があるというメッセージも含まれています。
進むにつれて上空に白い雲やガスが立ち込めてきたため、少し急ぎ目で先を急ぎます。
10月の御嶽山では霧氷が観れます。
紅葉目当てで来るのであれば、もっと早い時期に来なければいけないということもこのとき知りました。
徐々に空気が冷たくなり、先程までの登りでかいた汗が少し冷えます。
秋の御嶽山に来る人は防寒着を忘れないようにしましょう。
選択
午前08時31分
王滝頂上に到着。赤字で書かれた石碑が雰囲気のある味を出しています。
登山口にある王滝御嶽神社の奥社となっていると同時に、十合目となっています。
昨夜の初雪で真っ白になってしまったようですね。
御嶽山の狛犬は赤色のラインが施されており、そこに白いファンデーションが塗られて強調されています。
動画を撮ってみました。
風が強いことが分かるかと思います。
先の見えないホワイトアウト。
加えて正面を向けないほどの強風、予想していなかった寒気。準備と経験の足りない僕らにとっては撤退という選択肢も候補に上がって当然でした。
しかし、
「ここまできたら行けるところまで行こう。」
子供のような冒険心とポジティブな考えを胸に秘めて前に歩を進めました。
風は弱まることなく、僕たちに襲いかかってきます。
僕たちはサングラスもゴーグルも持ってきていなかったため、目を開けることが難しいときも多々あり、コンタクトが外れて飛んでいったらどうしようかヒヤヒヤしていました。
午前09時16分
御嶽山最高峰である剣ヶ峰3,067mに到着。
強風に耐えながらも歩みを止めず進むこと約30分、感無量です。しかし、頂上はこれまでにないくらいの強風でゆっくりは出来そうにありません。
頂上にも神社があります、、、
山が開いている時期は巫女さんとかいるのでしょうか、、、
次は雪のない時期に来てみたいものです。
ギャップ
午前09時20分
山頂の風と気温に手先や足先が冷えすぎて耐えられないため下山を開始します。
パートナーであり、スキーヤーでもあるMiyaは剣ヶ峰から滑走するかのように颯爽と下りて行きました。
本来であれば見えるはずであろう御嶽山からの絶景はまた次に来る日のお楽しみとして撮っておきたいと思います。
王滝御嶽神社のあたりから天候に変化が現れ、青空が再び戻ってきました。風は相も変わらず強いが、太陽が当たると身体も気持ちも暖まります。
雲に穴が開き、麓の紅葉が見え、当初の目当てであった紅葉刈りも達成することができました。
下山していくにつれて、天候も少しずつ安定してきました。
つい数分前の景色と天気は一体なんだったのか。
そう問いたくなるほど山頂から下るにつれて変化する天気のギャップに驚き、この季節と標高の難しさを実感しながら僕たちは来た道を戻りました。
達成感と安堵
無事下山したことを報告。
上空には未だガスが立ち込めています。
最後の一本道。
まるで試練のような御嶽山の旅も終わりが近づいてきました。
午後00時14分
この短い時間の中で、僕たちは自身と自然に向き合い、景色の移り変わりを肌で感じることで経験と精神がまた一つ上がった気がします。
雪に包まれた御嶽山を登り、達成感でいっぱいですが、御嶽山から離れていくにつれて、安堵の気持ちが増してきます。
麓では気持ちの良いほどに彩り豊かに映える紅葉が待っていました。
頑張ったご褒美としてありがたくいただき、王滝村にある温泉に浸かって疲れを癒しました。
明日は月曜日。
徐々に現実に意識が向き始めて悲しい気持ちになっていた矢先、中央自動車道の渋滞が僕らに襲いかかってきました。
疲れた身体にアクセルとブレーキの相互運動は堪えますが、夕焼けに染まる富士の姿がそんな疲れも一気に取り払ってくれます。
一瞬、御嶽山と見間違ってしまったのは気のせいでしょう...
こうして僕たちの短くも長い御嶽山の旅が終わりを告げました。
御嶽山のまとめ
「ここまできたら行けるところまで行こう。」
王滝山頂で決断したときの気持ちは今でも忘れません。
引き返してまた次来ればいいという考えもとても大事ですが、求められた状況に対して、自分たちで考えて決断して前に進むことで得られた結果は、僕たちの経験を大きく伸ばしてくれました。
冬の訪れ、視界ゼロのホワイトアウトと突風、ご褒美の青空と雲海。
あのとき目で見たもの全て、その先へ進むためには必要なものであったと思えます。
僕たちは短い時間に凝縮された「御嶽山」という短編ドラマの展開と内容にとても満足することができ、自然の厳しさと素晴らしさを見ることができました。
僕が御嶽山を訪れたこの記録の約1年後、国民のほとんどの人がその名前を知ることになりました。
2014年09月27日
良く晴れた休日の昼間、登山者で賑わっていた御嶽山が噴火しました。死者・行方不明者が大多数に及び、戦後最悪の火山災害として瞬く間にニュースとなり、全国に知れ渡ることになりました。
僕の知り合いはその中におらず、僕自身もその日は岩手県の方へ友人たちと登山へ出かけていたので、その知らせを携帯電話のニュースで知ることになりました。
多くの人々に影響を与えた出来事ですが、あれから早くも数年が経ちます...
僕たちが今いる日本は、小さな島国です。
そんな小島の中では火山噴火を含んだ自然活動が多くあり、僕たちの生活と密接に関わっています。
ある場所では温泉が湧き、ある場所では火山灰によって形成された土で農作物が作られ、ある場所では人々の生活の糧となっています。
しかし、僕たちの生活を脅かすほどの力が、時として自分たちに降りかかる瞬間が訪れることを忘れてはいけない。
自然の力は、直接的に人々の生活に多大なる悪影響を与え、悲しい思いをすることもしばしばあるけれど、間接的にこの国に恵みを与える役割も担っていることを僕たちは気付かなければならないのかもしれません。
自然の中で費やす時間や遊びは楽しくて気持ちが良い。
これからもそこに身を置くことで考えるようになり、理解しようという気持ちになっていけたら良いなと思います。
今、こうして昔の記録を書くことで、忘れかけていた大事な記憶とそこから数年経った今の思いを確認することができました。
御嶽山の位置
御嶽山の地図
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