海を渡る白い鳥の旅
2016年9月23〜24日
いつの日からか、心のどこかで憧れだけが大きくなっていた山があった。
その姿を目に焼き付けようと決心するまでに、随分と時間が掛かってしまった。
鳥海山。
海と山の二面性を持つその山は、日本海に面した秋田県と山形県の県境に大きく裾野を広げる独立峰であり、冬が近づき山頂付近に雪が降った姿が富士山に似ていることから「出羽富士」と呼ばれ、昔から庄内平野の象徴的な存在となっている。
僕たちが訪れたとき、春に田植えをした米の収穫時期ということもあり、山麓では稲が黄金色に輝き、東北の秋に立ち会えた気がした。
翌日の鳥海山へ向けて前日入りしたこともあり時間があったので、街からほど近い「高瀬峡」と呼ばれる場所を散策した。
「自然を独占している秘境です。」という現地で手に入れたパンフレットの触れ込みどおり、関東圏の整備された道とは違うありのままの自然が残る東北の森を堪能した。
前夜は鳥海山麓のキャンプ場にある高床式のバンガローで前泊し、翌朝に備えた。
早朝、日の出前の気温は肌寒く、すっかり秋の装いが必要だと感じる。
登山口から見るご来光は、鳥海山に光と温かみを与えてくれ、出発の後押しとなった。
裾野をジリジリと詰めているとき、ふと振り返ると遠くに山形県にある月山の姿を捉えることができ、鳥海山と並ぶ名峰をこの距離から感じることができた。
その昔、成夏の月山に登ったのが懐かしい。
鳥海山最高峰である新山が見えてきたところで、まだ半分の距離といったところ。
鳥海山の懐の大きさを肌で感じる距離感だ。
鳥海山には雪渓が少しながら残ってあり、このまま冬を迎えることでこの上に雪が覆いかぶさり、万年融けない雪として保存されている。
目の前に見えている雪は何年、何十年も前の雪がそこに有り続けているもので、僕たちとは違う時間軸を過ごしてきた雪、水ではないか?
という疑問なのかロマンなのかわからないが、そんなところに趣を感じているのは僕だけかな。
新山山頂に近づいてくると、周囲と足場の雰囲気が岩の露出した岩石地帯に変わり、鳥海山も火山であることを肌で感じた。
そして、その懐には鳥海山大物忌神社があり、山岳信仰の山として古来からこの土地を見守っている。その独特の雰囲気からは、先人たちが鳥海山を拝める理由が少しだけどわかった気がした。
庄内平野が米の収穫時期を迎えているのが山の上からも伝わってくる。
山岳信仰な山なだけあり修験者の姿も。
標高2,236mの新山山頂では、岩が隆起した自然地形に力強さを感じた。
鳥海山ということで、シー(海)チキン(鳥)をチョイス。
この後、取っ手が抜けて大惨事になったのは思い出。
山頂付近から始まる鳥海山の紅葉。短い秋を彩る素敵な紅色を見せてくれた。
登山口から山頂を通って大きく周回し、湯ノ台コースへ戻るために美しい草紅葉の中を先へ進む。
大きな岩がゴロゴロ転がる幸治郎沢を詰めて、
台地状の地形に伸びる木道を進み、
短いようで長かった鳥海山の旅を無事完了した。
来たときには見えなかった鳥海山の全容がはっきりと見えて、その大きさにただただ圧倒された。
下山後は酒田市にある平田牧場で豚肉と新米を頬張り、消費した分のエネルギーを身体に取り入れた。
翌朝は出羽三山の一つ「月山」を目指す予定になっている。
憧れの鳥海山での疲労が思っていた以上に大きかったせいか、鶴岡の夜景を眺めながらテントの中で気づかぬうちに深い眠りについていた。。。
インターネットが普及した今、それが秘境や人里離れた場所であったとしても、ある程度の情報は検索することで簡単にヒットし、画面を通してどんな風景や姿をしているか、どうアプローチをすれば良いか、良くも悪くも簡単に分かる便利な時代になった。
しかし、ふと思い返すとそれで満足した気になって結局は何も成し得ていないことに気づく。21世紀の現代においても画面を見ているだけでは得られないものもある。
そんなことを感じた今回の旅は、自ら足を運び肌で感じることでしか得られない体験と感動を仲間と共有することができた。
この話の数年後、新潟港からフェリーに乗って北海道へ帰省した際、船から見た鳥海山が海の上に浮く巨大な島のように思えた。
その道中、日本海から鳥海山へ向かって大きく高らかに羽ばたく白い鳥たちに出会った。彼らは無事に鳥海山の旅を終えることができたのだろうか。