白馬八方尾根の歴史にふれる旅
2017年03月11日(土)〜12日(日)
長野県北安曇野郡白馬村にある白馬八方尾根スキー場に行ってきました。
八方尾根は、白馬岳を含む3,000m級の山々が連なる後立山連峰の一部であり、南北の稜線から姫川に向かって伸びる尾根の一つです。
通称「八方尾根」と呼ばれ、1998年に行われた長野オリンピックでは、アルペンレースの競技会場になったことで知られています。
八方地区では古くから山岳やスキーに対しての理解と文化がありました。終戦後の混乱期には、八方尾根にスキーコースを開拓することで戦後復興の原動力になったとされています。
そんな歴史とスキー文化のある山岳リゾート白馬村を約1年ぶりに訪れました。
1日目|春の八方尾根
10:37am
都内を早朝出発して白馬八方尾根の麓にある本日の宿、白馬八方温泉しろうま荘に到着した。
昭和の初頃、登山者は旧細野集落(現八方)に到着すると山案内人の家に泊まり、翌日の打ち合わせを済ませ、翌朝登山へ向かうというスタイルが定着していた。その後、しろうま荘のある細野を中心に、警察の許可を得て民宿が始まり、今日の「日本の民宿発祥の地」として知られるようになった。
部屋に荷物を置くと、窓の外には八方尾根スキー場が見える。この日は雲が多いけど晴れ模様。
ゴンドラからリフトへ乗り換えて進むにつれて、一枚バーンの白い斜面が見えてきた。
厳冬期の八方尾根は風が強く、視界も悪いため青空が見えるのも数えるほど。3月になり冬の厳しさが少し緩み始めると聞いていたが、訪れたときは前日まで降雪が続いていた。
麓の道路等にはほとんど雪が残っていないが、山の上にはまだまだ多量の雪が残っているのが八方尾根。まるでカナダを思わせるような景観を前に胸が高鳴る。
今回、パートナーの記念すべき日への祝福を込めて八方尾根を選んで正解だった。そして初めての長野県ということで、この日本らしくない景色を観れたのは日頃の行いが報われたのかもしれない。
標高が高いこともあり、雪質も申し分なし。
リーゼングラートコースに無数のトラックが刻まれていく。
昼に近づくと日射の影響で雪に板が取られるようになってきた。
1998年の長野オリンピックで女子滑降のスタート地点となった場所。
雲も徐々に薄れ、青空が見えてきた。白馬には青空が似合う。
本日は気になる板の試乗会も兼ねての八方尾根。
以前お世話になった店長にも会えてよかった。
山岳リゾートとして海外からのゲストが増えている白馬村。ゲレンデ内でも英語表記の案内や聞こえてくる外国語が珍しくなかった。
日本の山や自然が世界に広まっているのは日本人として誇らしい。
日が沈みかけてきたところで、歴史あるリーゼンスラロームコースを下る。
八方尾根では毎年「リーゼンスラローム大会」という大人から子供まで出場する歴史あるローカルスキー大会が開催されており、昨年は第70回の記念大会となった。
八方尾根に来ると、スキーにも興味が湧いてくるのは自然な流れなのかもしれない。そんなことを考えながら宿に戻り、八方温泉の湯に浸かった。
二日目|白馬の歴史
09:12am
宿では朝早くから滑りに行く人たちで賑わっていた。
僕たちは滑らないので、のんびりと朝食を済ませて近くの白馬大橋へ向かった。
宿から10分くらいの場所にある白馬大橋からは、白馬岳を中心とした山並が眺望できる。
白く染まる北アルプス後立山連峰と八方尾根。山と麓がとても近く、この距離感が白馬ならではの魅力なのかもしれない。
3月3日はひな祭りだったので、しろうま荘の入り口には雛人形が飾られていた。
しろうま荘は家族経営の小さな宿だが、海外からのゲストが増えて、トリップアドバイザーなどで評価が高まり、2012年World Luxury Hotel Awardsにて、日本初となるGlobal Winner受賞に輝いた実績がある。
大切な1日を素晴らしい宿に「おもてなし」してもらうことができた。
近くに山とスキーの総合資料館があるので足を運んでみた。
写真は昭和40年代の黒菱。白馬村では当時からすでに山での活動が普及していたようだ。
昔のスキーは、カンダハーと呼ばれる締め具で革靴を固定し、細長い木でできた板に乗って滑ったり登ったりを繰り返していた。白馬村では生活に山での活動が欠かせないこともあり、スキーは生活の必需品だったようだ。
スキーに関する古い雑誌や書籍がずらりと揃っていた。
このとき、ソチオリンピックで引退した上村愛子さんとノルディック複合で銀メダルを獲得した渡部暁斗さんのメダルとユニフォームが偶然にも白馬村出身ということで展示されていた。
オリンピック選手を多く輩出している白馬村の歴史は、こういった記録の数々からスキーの歴史と言われているのかもしれない。
車で名木山ゲレンデを通り過ぎ、その奥にある白馬ジャンプ競技場に来た。
長野オリンピックのジャンプ競技で日本代表が金メダルに輝いた歴史あるジャンプ台。現在は信州三大観光施設の一つであり、スタート位置まで登ることができる。
板を履かずにリフトに乗るのは違和感がある。
白い山肌の存在感に圧倒される。
オリンピック選手の気持ちが味わえる。
帰りに立ち寄った白沢峠から見た白馬連峰の山並み。
白馬村では、これだけの山岳風景を誰しもが見ることができる。
安曇野方面へ向けて車を走らせると、徐々に麓の町からは雪が消え、聳え立つ北アルプスの山並だけが白く目立つ存在になり、楽しかった思い出を残して帰路へ着いた。
白馬村を旅して
2日間の滞在で白馬村のスキー文化と歴史に少し触れることができました。
八方尾根の開拓は、無線もリフトもなければ圧雪車もない時代から始まっていました。当時の日本で早くからこれだけのスキー場開発が進んだ理由は、白馬村が後立山連峰の麓に位置したことにより山での活動が盛んだったことと、古くから生活の中に雄大な山々があり、そしてスキーがいつもそこにあったことが影響していると感じました。
僕が白馬村へ訪れるのはこれで4回目となります。これまではその山の存在感や近年発達した部分にばかり目がいっていましたが、この旅を通して白馬の歴史や文化に触れたことで、景色の見え方が変わった気がしました。
次白馬村を訪れるとき、自身の目にどんな風に白馬の景色が映るか楽しみです。
白馬八方尾根スキー場の位置
参考
白馬八方尾根スキー場 | HAKUBAVALLEY HAKUBA HAPPO-ONE
白馬ジャンプ競技場/HAKUBA SKI JUMPING STADIUM | 八方尾根観光協会
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