雲取山〜東京都最高峰を目指した旅〜
2014年05月10日(土)〜11日(日)
東京都、埼玉県、山梨県、長野県の1都3県に跨る山、雲取山(くもとりやま)に行ってきました。標高は2,017mあり、東京都で最も高い山になります。
雲取山は、秩父多摩甲斐国立公園に属し、山頂からの展望も良く、都民が奥多摩などで登山経験を積んでいくと、いつか望んでみたいと思う憧れの山の一つです。
今回は、都心からほど近い雲取山で、初めて買った山岳テントで「テント泊登山」を経験するべく、新緑の東京都最高峰を目指しました。
1日目|重量
都心から約2時間。雲取山の登山口のある鴨沢に着いた。
行方不明の男性がいるとのことで、警察官の方々が捜索していた。都心から近いことが関係してか、奥多摩では遭難が多いと聞く。
僕たち4人は、これから山に入ることもあり、身が引き締まった。明日無事帰ってくることが、今回の自分に課した目標でもある。
尾根を登り出すと、新緑の木々が眩しかったが、そこに気がいかないほど、いつもとは違う何かが、肩、背中、腰にかけて加わっているように感じ始めた。
僕の背中には、テントで一晩寝るために約15〜20kgのマテリアルたちが、ぎっしりと詰め込まれている。軽いほう?なのかもしれないが、今思えば初めての山での一夜を快適に過ごすために、あらゆるものを詰め込んでしまったのがこの重さに繋がった原因かもしれない。
テント泊登山は、重量との闘いになることを知った。そして、自然の中に身を置くとき快適性を求めすぎると、自分が辛い思いをすると学んだ。
「富士山はどこから見ても富士山」
眺望の拓けた奥多摩の山に登ると、大抵見える日本一の山。
すべての日本人に認知され、世界的に有名であり、こんなにもわかりやすい山は、他にないだろう。
この日の最高気温は約25°Cであり、太陽に照らされ続ける僕たちの身体は、すでにオーバーヒート状態だ。そんな中、七ツ石小屋に売っている飲料水は、麓で飲むそれとは有り難みが全然違った。
皆、慣れない重量に疲れているように見えた。それでも目的地に行くには、自分の足で進むしかない。
歩き出すと、雲取山に向かう尾根が見えた。
身体をねじったような立木があった。風の影響か?
装備が重いため、身体が揺れると倒れそうになる。
この日は、穏やかな天候の下、富士山が終始望める。
近くにはヘリポートがあり、小屋の物資をヘリで運んでいるようだ。
本日の宿、奥多摩小屋のテント場に到着。意外と空いている。
到着時、同期のアラくんからは、荒々しさが薄れているように見えた。
初めてだけれど、なんとか設営できた。
僕のテントは、真ん中の青のダンロップのテント。出口が横なので出やすいのが気に入っている。2本のポールを差し込めば、基本的な形ができるため、天気が悪いときなんかでも素早く設置できるようになっているとか。
少しテントの中でくつろいでいると、日が沈み始め、富士山に西日が当たり始めた。
山並みに沈む夕日を見るため、雲取山の山頂を目指した。
サンセット登山。ヘッドライトが重要になる。
前回の岩殿山からお世話になっている先輩夫婦は、何度かテント泊を経験しているようで、頼りになった。
一見、都会の華奢な女性のようだが、強靭なフィジカルを持つ旦那さんについていくそのメンタリティは、計り知れない。
「もたもたしてると、日が暮れちまう!」
と言わんばかりに走ってみたが、高所での走りは辛いので、慣れていないとすぐに疲れる。
ゆっくり、確実に行こう。
17:49pm
標高2,017m、雲取山に到着。
富士山が徐々に赤く染まっていく。
日中の太陽が出ている時間帯は暖かく、汗を掻くほどの暑さだが、日が沈み始めると途端に寒くなる。これが春山での自然原理だ。
ダウンを着て、持ってきたガスバーナーで各自が飲みたいものを温めて、日が沈むまでの時間を過ごす。
山並みの向こう側に沈む太陽を見送ると同時に、この日の活動が終わった。
ここから、月夜に照らされる登山道をテント場まで安全に戻り、夕食の準備を始めなければならない。
寝床に戻った頃には、皆静かに寝る準備を始めていた。
街での感覚をここに持ち込んではならない。山の消灯は早い。それは自然に合わせたリズムだ。
そんな静かな中、カレーライスを作るバーナーの音が鳴り響いていた。ごめんなさい。
こうして、初日の行程が終わり、星など見る余裕もなく、1日目が終了した。
2日目|雲が取れた山
04:22am
春になると、日の出の時刻が早く、必然的に目覚めるのも早くなる。
初めてテントで過ごした山の夜は、疲れていたためすぐに寝てしまった。日常生活では、夜も朝も遅い生活習慣に身体が馴れているため、とても清々しい朝に感じた。
日の出により、富士山も昨日とは逆側が赤く染まっている。
他のみんなより少し早く起きたので、丘の上まで朝の散歩をすることにした。
雲一つない上、寒くもなく暑くもない快適な朝。1年で一番過ごしやすい季節かもしれない。
朝食を済ませた後、テントを撤収して下山の準備を始める。
来たときよりもザックの中が嵩張るのはなぜなのかと皆で疑問に思いながら、昨日登った道を鴨沢へ向けて歩き出した。
2日目も太陽が登るにつれて、気温がどんどん上昇した。
麓に向かっているため尚のこと、蝉が鳴く真夏のような暑さが身体に襲いかかってきた。
それでも帰るだけということに、なぜか内心ホッとしている。来たくて来ているはずなのになぜなのだろう。
下山後、奥多摩駅からほど近い温泉で2日分の汗と疲れを取り除いてすっきりした。
毎日湯に浸かる習慣のある日本人であるがために、お風呂に入れることのありがたみをこの旅で一番感じることができた。
多摩川沿いの木々も緑色に染まり、川遊びをしている子供たちもいた。春から夏にどんどん向かっていることを感じる。
簡単に食事を済ませて、新緑の奥多摩に別れを告げた。
雲取山を旅して
「自由を背負う」ということ。
山の上に自分で建てるナイロン生地の小さな家。そこで時間を過ごす行為に、どこかロマンと自由を感じていました。
しかし、物事には良く見える部分もあれば、その影に隠れている部分もあるように、テント泊装備を運ぶということは、それだけの荷物を自力で運ぶ辛さもあることをこの旅の中で経験できました。
「過剰な道具は必ずしもハイキング&キャンピングの楽しみや安全の本質ではない」
これは、最近読んだ著書に載っていたウルトラライトハイキングの父とされるレイ=ジャーディンの『Beyond Backpacking』から抜粋した言葉。(この本は読んでいません。)
山で何がしたいのかは人それぞれ目的が異なるだろうし、何を持って充実感を得るかも千差万別ですが、根幹にあるのは「自然の中に身を置き、自然を感じること」ではないかと思います。
本当に必要な道具が何か。担ぐに値するものを吟味して、シンプルで必要十分なものだけを頼りに、自由を手に入れることを私たちはついつい忘れてしまいます。
今実践できているわけではないけれど、根底にある大事なものをこのときの自分に諭したい気持ちです。
雲を取った山。
その名の通り、この2日間快晴に恵まれ、雲一つない景色を終始眺め続けることができました。次に雲取山を訪れる時、また雲一つない景色が見れることを信じています。